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「コギャルに民藝使わせたら勝ち」なワケ
今は随分おさまったが、デザイン誌などを通して〝ふつう〟という言葉が流行っていた。
デザインという言葉が氾濫し、
それらの違和感に対して警鐘を鳴らすための新しい価値として生まれたものだろう。
ふつうは、普遍性といった言葉に置き換えられるのかもしれない。

もし、この〝ふつう〟で社会を変えるためには、ふつうの人に届けなくてはならないように思う。

日本におけるふつうの人は、きっと、民藝やクラフト、グッドデザイン賞など知らない人、
モノの価値基準を〝高い〟、〝安い〟で決める人。
環境のために、エコ!と叫びながら買い物バッグは持参するが、
壊れやすい大量生産の製品をじゃんじゃん消費している人。
例を挙げればきりがないが、
デザインやクラフト、民藝などが当たり前に暮らしに寄り添っている人々は、
自身が少数派であることを意識しなければならない。
情報の発信も同様、感度の高い人や学識のある人には専門的に語りかければいい。
でももし、ある価値で何かを変えようとするのであれば、
こっちを振り向いてくれもしない、見向きもしない、
ふつうの人々にふつうの言葉で届けるのが一番だと感じている。

なんて考えていたら、いつか工藝Foucaultの高木さんがこんなことを教えてくれた。
「(ふもと窯の井上)尚之くんがね、〝コギャルに民藝使わせたら勝ち〟って言ってたんですよ」

ぎゃ、ギャル…。
発想が奇抜すぎて、思わず笑ってしまった。
が、言い当て妙だと思った。

〝コギャルに民藝〟と言ったのは、一般大衆に届けてはじめて〝民藝〟だという想いからだろう。
いつから器は〝作品〟になったのだ、いつから僕たちは〝作家〟になったのだ、と。

井上さん本人も、街でみられるふつうの人。
車ではコブクロが流れるし、奥さんのバッグはルィヴィトン(だったかな)。
最近の作り手にありがちな、自然派でもなければ、
〝暮らしをていねいに〟などとかっこつけて言わない、(もちろんていねいに暮らせた方がいいけど)
家族のために元気に働く4児のパパ。

彼が作るものに対してデザインの好みは人それぞれあるだろう。

でも私が大きな声で、彼はスバラシイ!と言いたくなるのは、
伝統のある窯で作りながらも、窯で力を合わせて一般市民に届きやすい価格設定にしていること。
その〝本当のふつう〟が分かる作り手や店が増えてくれるといいなーという想いをこめて。

9月14日(火)より、工藝Foucaultにて井上さんの個展がはじまります。
ふつうの民による、ふつうの民のための器が並ぶのです。(詳細は、こちらから

今やブルータスに特集が組まれるなど一躍有名人になった彼ですが、
無名の時期からともに歩いてきた工藝Foucaultは、
本当に、本当にステキだと思います。(あ、告っちゃった)
さらに言うと、Foucaultでの販売価格は、作り手の言い値であること。
(沖縄のやちむんなど、遠方との取引で運搬費がかかるものは除く)。
儲けを重視して、がっつり乗せてはいません。

敢えてこんなことを言うのは、
東京で井上さんの器を買うと、Foucaultで購入するものの2倍する場合があるからです。
運送料や家賃などを考えて仕方ない部分もありますが、
せっかく作り手は、〝ふつうの人〟に届けるために、良心的な価格で提示しているにも関わらず、
彼自身の知らないところで〝ふつう〟ではなくなる危険性もある。

だからこそ、ふつうの器を届けるには、ふつうの店が必要、なのです。
Foucaultすごい。(あ、また告っちゃった)
by mikick5 | 2010-09-09 19:52 | お知らせ***
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